タネまき
1/14(土)
12時間寝た。
フルート、吹いた。
洗濯物、干した。
昨日、SLUM DANK THE FIRSTの解説本がやっと届いた。
年末、友達と映画を見て大号泣した。
映画化するってことで、彼氏から春頃に漫画を全巻借りて読んでいたものの、
映画開始3分くらいから涙は止まらなかった。
漫画を読んでいる時も泣いた記憶があるが、映画は大号泣だった。
今思えば、なんであんなに泣いたんだろう。
とりあえず、今日は、届いた本を読もう そんで、漫画も読もう
の気持ちでSLUM DANK時間を2,3時間過ごした。
その後、お腹が空いたので散歩がてら何か買いに行くか〜
ってしてたら友達から連絡がきて、一緒に作業することに。
と思ってたら、お母さんからおばあちゃんにiPadの使い方を教えてほしいと連絡が。
1時間半電話してたけど、結局解決せずに
「おばあちゃん、くたびれちゃった」
って言って終わっちゃった。
すごく申し訳ない。また今度、教えに行こう。
その後友達と合流して、おしゃべり兼作業をした。
コメダ珈琲は23:00までで、その後春みたいな夜風にあたりながら帰宅した。
お腹が空いていたのでスーパーに寄って、いつもと変わらない買い物(キムチ、納豆、ヨーグルト、バナナ)をした。
考えると、すごく長い一日。
いっぱい考えることがあったな。
友達との会話
本当に気を許せる楽な友達。なんで楽なんだろうって考えると、それはどんな自分も出せるからな気がする。
いろんな友達と付き合ってる私は全部私ではあるけれど、一部に過ぎないことが多い。
おちゃらけてる私も私だし、自分探しをしている私も私。
私の中にも軽い私と深刻な私の間にグラデーションがあるけれど、
本当にそのどの自分も出せるのがその友達なんだと言語化してしっくりきた。
そして、それは友達にとっての私もそういう友達で、
だから、相手が悩んでいるとき、自分も悩んでいたらすごく共感するし、
自分がハイテンションに近い時は相手に話のレベルを合わせることができる。
逆に私が悩んでいる時、相手も合わせてくれる時があると思う。
そしてお互い情緒が安定していて割となんでも楽観的に考えれる時はお馬鹿な会話が弾む。
どの会話もわざとらしくなく、自然な会話なのだ。本当に大切な友達。
以前、髪型、髪色について考えた日があった。
そのことについても友達に話、また自分の中で何か感じたものがあった。
私は自分にずっと自信がなくて髪色を変えた自分で自分を実感していた。個性を感じていた。
個性ってなに?みんな違うのは当たり前だし、みんな違ってみんないい、やん?
って友達に言われて考えながら答えた。
ずっと私は人に支えられて個性を作ってきたのだと思う。
芸術面への関心は両親やその友達と関わっているからより発達したし、している。
海外への興味も両親の影響が強いと思っている。
私の特性は誰かにタネを撒かれて育ったもののように感じているのだ。
私が求めている個性は、多分、自分でタネを撒いて自分で水をやり、育てるものなのではないか。
きっと、その感覚が最近の「知らないことを知る」快感とつながっている。
自分で何か見つける、知り始めるということはタネを撒いている感覚だ。
今、種まきという楽しさを知って育てたいという気持ちが強いのだろう。
そして、それを育てたら、自分のことをもっと好きになれる気がしている。
自分のことをもっと好きになって自己愛が成熟したら他の人のことも無償で好きになれるんじゃないかって期待してるところがある。
そんな感じ。就活で色々悩むことが多いけど、とりあえずこの感覚、忘れないように記録する。