ゆらうねひら

日記感覚で感じたこと、考えたことを書いています。

昼寝

1/31(火)

久しぶりに太陽があるうちに家を出た。

ここ何日間か、廃人のような生活を送っていた。

突然何かの糸が切れたみたいだった。

今思い返してみると、1週間以上意志のない生活をしていた気がしたが

26日は彼氏に会い、ほぼ一年ぶりになる友達に会い、大好きな友達の家に泊まった。

27日、引越し業社と電話をして引越しの手続きを進めた。

28日、友達と2回目のSLAMDANKを見に行き、その夜また彼氏とご飯した。

29日、昼前に起き、NARUTOを読み切った。

30日、なんと、昼過ぎに起きた。今年の目標「朝、起きる」30日目にして達成ならず…

夜は前の職場の人たちと久しぶりにご飯した。色々懐かしくて楽しかった。

そして今日、9時頃には起き、朝の用意をして10時から就活の説明会に参加した。

その後、ご飯をたべ、昼寝して起きて、メルカリ発送の手続きをして今に至る。

なんだかんだ、何かしている日々だった。

じゃあ、何が私を無気力だと認識させているのだろう。

まず、すぐに思い浮かぶのは、『昼寝』である。

昼寝が10分、15分で終わらすことができないのだ。

軽く1、2時間寝てしまう。おそらくこの日中室内で寝て過ごすということが

私の中で無駄な時間と認識されてしまっている。

また、副次的に昼寝をすることから、その日の夜すぐには寝付けず、夜更かしすることになる。

自分の部屋は光があまり入らない。寒い。布団に入る。寝る。起きたら夜。

この循環が良くなかったのだと思う。

昼寝はベットでしちゃあかんな。

あと、ほんと自分の中でのこじつけだけど、

最近映画ハリーポッターシリーズを見ていて、だんだん重くなる空気もあんまり良くないんだと思う笑 ごめん、ハリー、話は面白いです。

相変わらず、フルートは吹いたりしてるけど外に出てるから中での楽しみも充実してやっぱりバランスなんだな。充実感は、外にでて、(フルート吹きたいな)って思って帰ってきてから吹く方がある。

就活、引越しのせいで最近学校に行っていない。

しかも、もうすぐ東京にインターンしに行くから余計行けない。

もっと時間が欲しいな笑

とにかく、ちょっとこれで吹っ切って新しい気持ちで日々を過ごしていきたい。

明日はお母さんが引越しの手伝いに来てくれるみたい。

嬉しいな。お母さんにいっぱい話したいことある。

頑張ろう〜〜。

今日は、あと、プログラミングの勉強と説明会聞いて、ハリーポッターの続き見ながら寝よう。

権利のはなし

1/25(水)

昨日から大雪で朝起きたらやっぱり積もってて

さむ〜って思いながらも心は踊ってて

ベランダに出て即席雪だるまを作った。

コーヒー豆を目にして、お茶っぱを手にして、チューブのキャップを帽子にしたら

即席雪だるまの出来上がり笑

雪って音を吸収して光を反射するから

ベランダに出て、外を出ると明るいのに静かで、寒いのに心はその光景であったまった。

 

月曜日、久々に後輩の友達と遊んだ。

パン屋さんに行って、お絵描きをして、植物を見て。

可愛い〜〜って言い合ってる時間が楽しかったり癒されたりした。

後輩ちゃんから「そうだ、これあげよう〜って思って」って

ポストカードもらった。こんな嬉しいことある?

その子にも言ったけど自分が再認識した幸せの瞬間があって

ふとした瞬間に「あ、これ、あの子好きだろうな」って友達を思い出す瞬間って本当に幸せな気持ちだし、逆にもしそう自分が思われる時があったらめちゃくちゃ嬉しい。

ポストカードをもらった時はほんと嬉しかった、改めて出会ってくれてありがとうだよ〜〜

 

火曜日、人生で初めて宝塚劇団観に行ってきた。

この日のハイライトは絶対見終わった後、友達と話したジェンダー論。

話の始まりは宝塚が提供する「女性が男性を演じること」は男女差をなくす希望を与えるか否かっていう話題だった。その後、話が色々展開していくんだけど、まず私の前提をまとめたい。

実は、私は性別の話題が世間で起き始めてからなんとなく違和感を持ってきた。その理由は、マイノリティーの人がその存在を主張することに意味はあると思うが、その人たちが求めている権利が何であるか分からなかったからだ。認めてほしい、と言っているように聞こえてしまうのだ。その場合どうしたら認めていることが伝わるのかも分からず、私はその話題が上がるたびにじゃあ私はどうしたらいいんだろうという思いを抱えてきた。そして、私が出した結論は「性別ではなく、『その人』を見ること」だった。

この話を友達にすると、

理解はするけれど、「やはり声をあげて人々に気づいてもらって社会が変わらないといけない」という話になった。

女性が社会で生きていくのと男性が生きていくのでは、年収にしろ、働き方にしろ差があるという話だ。ここからジェンダー論へがヒートアップしていく。

まず、今日になって色々思い返すと、私はジェンダー論でのジェンダーは社会を男と女という性別で二分しようとする思考的特性を指すということを知らずに話を進めていた点が自分に混乱をもたらした気がする。先述した、私の性別への解釈はジェンダー論とは違うベクトルの視点であるということを話し終わってから知った。友達…申し訳ない。

友達と話している時に私が主張したことは、

社会での男女平等云々の話は、価値をお金で一旦置き換える資本主義を経由して話しているが、私はそもそもお金では買えない幸せ、価値ってあるでしょ?損得勘定でしか物を見ない社会は嫌だよ…

って感じだった。つまり私の解釈は、

・この世の中で起こっているジェンダー論は資本主義のなかでの問題である。

・資本主義の中で生きる上でお金以外の価値を見出せないと快楽しか得られず、幸福、満足感は得られないのではないか。

つまり、

ジェンダー論が解決したとしても幸福ではないのではないか。

である。

 

今日、別の友達とこの話をして新たな気づきがあったのでかきたい。

昨日、友達が言っていたジェンダー論、これは「権利」の話である。

私は、ジェンダー論が目指す目標が現状幸せでない女性が幸せを求めるもの、として、幸福の定義に対して主張を展開したが、「権利」の話として解釈すると、確かにジェンダー論は考えないといけない問題なのかもしれないと思った。

私は、女として生まれてきてしまった。

生まれたくて生まれたのではない、気づいたら女だった。

この社会は男を中心に動いている。車の安全性を考慮するテストは男性がモデルの人形が使われている。(実際、エアバックが起動していても亡くなった人は女性の割合が多いらしい)MRIだってなんだって。

これは、人種問題と一緒。黄色人種と黒人と白人を区別してできることの選択肢を変えるのは個人の自由を社会が奪っていることになりよくないことだ。

男か女かを区別してできる選択肢の幅が変わるのは個人の自由を社会が奪っていることになるのだ。そのことに友達と話していてやっと気づいた。

ノブリスオブリージュ的なものなのかもしれない。

資本主義社会を生きる上でやっぱりお金は必要で、その社会を生きるのであれば、そうした差はあってはダメなんだ、

最近ずっと自分の幸福度を育てることを考えていたけれど、

自分が社会(資本主義社会)で生きることも考えないといけないなと思った。

 

他にも、死刑、文化の盗用の話とか色々社会が絡むお話ができて楽しかった。

休む日

1/21(土)

久しぶりに何も予定がなかった。

起きたのは確か11:48。

…朝なのでセーフ(今年の目標の一つは朝、起きる。)

旅行から帰ってきてからまだ3日しか経ってないことに驚き。

だいぶ遠い過去になっている。

というのも、木曜日、金曜日と実は旅行に行った友達とまた会っていて

それぞれまた自分にとっていい1日だったから。

水曜日の夜、NYに一緒に行った別の友達から連絡が来た。

「(一緒に旅行した友達と)卒制のモデルしてもらいたくて…😭」

とのこと。実はその友達はNYの旅行ではほぼ初対面のような関係だった(日本で一度だけ共通の友達を通して会っていたけど)。

その子の中で共通の友達、の友達ではなく私自身が直接友達、頼れる人、の関係になっていることが素直に嬉しかった。

モデルの経験は初めてで、撮影はとっても楽しかった。

帰りの電車で制作の意図、込めた思いを聞いて、この子ともっと一緒に何かしてみたいなと思った。専門分野も違っていてNYに行ってなかったら本当に交わらなかった世界線を感じたし、その延長を自分の手で引きたいような気もした。

その後、研究室の同期とお世話になっている先輩(去年まで同じ研究室で今年から違う研究室に移った)と飲んだ。

そこで、ハッと気づいたのは、働き方。先輩は自分の得意な技術を使って仕事をしているようでうらやましかった。影響されたっていうのもあって実は昨日からPythonの勉強を始めた笑

そして、昨日。

昨日は起きて、フルートを吹いていたら連絡が来て

前日に友達の家に起き忘れたアクセサリーを友達が届けに来てくれた。

その後、一緒にうどんをたべ、別れ、学校に向かった。1週間ぶり?以上かな?笑

帰ってきたら友達と岩盤浴に向かった。10月ぶりの岩盤浴、めっちゃ気持ちよかった〜〜

その後、学校の先生とオンラインミーティングして、Pythonの勉強進めて、日付を超えたのでベッドに向かった。

で、冒頭に戻る。

今朝(11:48)起きたら、久々に人と会わない自分時間だ〜!って気持ちで12:30くらいまでゴロゴロし、

そういえば、愛媛で買った鯛めしがあるな〜と思ってチンして、お味噌汁を作り、お昼ご飯。

デザートには愛媛で買ったチョコのパンの残りを食べた。

食べながらハリーポッターを見ていたけど、眠くなって途中で止めた。

起きたら、フルートを吹いた。愛媛で譜面台を買ったことでとっても環境が良くなった!

それから、練習用の楽譜も買ったのでそれも始めてみた。

その後、まただらだらしつつも、Python始めるか、って気になって

始めて見るとあっという間に2時間くらい経過してて、ご飯がわりに愛媛で買ったベーグルを食べてお風呂を溜めた。

なんだかんだいろんなことしてるな、自分。

人に会わずに自分で完結してる日ってどこかで絶対必要になってくるよなと思う。

人とあっていると刺激的だったりするけど、その分やっぱり体力は使う。

自分の機嫌の取り方に人と会うっていう選択肢はあるけど、その時は割と自分の中で余裕がある時(元気な時)。自分の時間が足りない!って頭のどこかで思ってる時は人に会わないほうが自分にとっても相手にとってもいいってことは経験上わかっている。

自分の時間が足りない、と思う時って、大抵何かに追われている時。

今私が追われてるのは確実に家探し。笑

明日、内見に行ってくる。

朝、10時からだって〜、起きれるかなぁ。でも今日こんなに寝たし起きれるか。

まぁ、これからハリーポッターをみようと思う。

セッション

1/18(水)

 

月曜日から二泊三日の愛媛旅行を友達としてきた。

行き先を愛媛にしたのは、友達のばぁやとおじいちゃんが住んでいて挨拶しに行きたいみたいだったから。

私の中ではその子との旅行がしたかったので行き先は任せた。

なんでその子と旅行したかったのかというと、

まず、その友達とは中高の同級生で、中1のクラスでは出席番号は前後の仲で、6年間で3回同じクラスになった子なんだけど、

高校卒業後4,5年くらいはほんと疎遠になっていた関係だった。

当時から映画の話をしたり、仲良くなってもおかしくないような気もしたが、

関係が大きく変わったのは去年の9月。

諸々の事情で一緒にNYで2週間過ごした。

その頃の私は就活を始めたばかりで

「自分のやりたいこと:人の役に立つこと」

から前に進めずにいた。

憧れる人は芸術家やアーティストなど、自分のやりたいことを実現している人なのだけど

自分はやりたいこと自体が人の評価を必要とすることで、これは純粋に自分から湧き上がっているのではなくて、ただ、自己肯定感の低い自分が周りからの評価を得て安心するために感じている承認欲求の一部ではないかという仮説を否定できずに悩んでいた。

NY旅行の間『暇と退屈の倫理学』という本を読了した。毎朝少しずつ読んでいる私の姿を友達は寝起きすぐに見て、私は毎朝自分が読んで理解したこと、学び、自分なりの解釈をその子に話しながらその日が始まる、という2週間を過ごした。

2週間、美術館に行ったり、お散歩したりして、あまりネットに触れる時間がなかった。

その間に友達同士で話したり、お互いの悩みを聞いたり、打ち明けたり。

そうやって過ごした時間は私を豊かにしていたし

そこで私は、自分が憧れている人の世界はその人で完結しているという事実に気がついた。

だから自分のやりたいことと憧れている人のその憧れている部分は比較できる次元でないことに自分で納得することができた。

その発見を大いに手助けしてくれたのが、今回一緒にしたその友達で、

そこで憧れている部分というのは自己愛であると最近わかった(『愛するということ』を読んで)という話を私は話したかったのである。

それがその友達と私が旅行っしたかった理由。

旅行はその子とでしか過ごせないような時間だったと思う。

〜備忘録〜

1日目

前日、二人ともそれぞれの理由で夜更かしし、眠かったため電車で爆睡。

電車、寝過ごす。

うどんを丸亀でだべる。美味しかった。

電車に乗り松山到着。ホテルに荷物を置いて友達とばぁやとおじいちゃんと一緒に夜ご飯を食べた。(なんでこうなった?笑)会話が弾んで楽しかった。お腹いっぱいだったな。

80前になって、お庭と英会話を楽しんでるばぁやと喋って、歳をとるのと重ねるのの違いを感じた。また考え直したい。

お風呂に入って就寝。

2日目

朝、二度寝した。気持ちいい〜笑

朝ごはんを食べながら夜に入ったミーティングの設定に手こずっていた。

昼から車を借りてまずリコーダー探しに。1時間くらいかかったけど絶対見つけたくって時間をかけた笑

友達おすすめの可愛いパン屋さんにいった。どれも美味しそうだった〜〜。

石手川ダムを見に行った。

そばで、私の持っていったフルートと友達が買ったリコーダーでセッション。

1時間くらいしてた。楽しくて楽しくて。幸せで幸せで。

買ったパンを食べながら寒くなってきたので帰路へ。

朝用意したミーティングは結局開催されず、ホテルが夜食で出している鯛ご飯の出汁茶漬けを食べた。

お風呂にいって、帰ってきたら、彼氏が貸してくれた中島らもさんの『今夜、すべてのバーで』を読了した。好きだった。学術的にアル中について話つつも小説で、主人公の気持ちに入り込めそうな考え方や、人間という性質について考えられる本だった。ありがとう、彼氏。

それからごろごろしつつ就寝。

3日目

最終日、朝起きて、ごろごろしながら朝ごはん食べにいって

荷物片付けたり朝の用意したりして、出発。

今日はドライブデー。

大三島に向けて出発。

大漁、っていうお店に30分くらい並び、全部のせ丼を食べて満腹、満足!

美術館を巡り、帰路へ。

車を返したら、電車しおかぜに乗って岡山へ。

運転で疲れてたのかもしれないけど半分くらいは寝てた。

残りの半分は『神様の住所』という短歌集を読んでいた。面白かった。

新幹線では、友達とお土産のみかん交換会をしたり、ちょっと話したり、さっきの続きを読んでいた。

新幹線ってほんと早い。あっという間に駅に着いて、友達とはお別れ。

私はバスに乗ってあっという間に家に帰ってきた。

3日前に急いで出た跡を感じながら、洗濯を回したり、お風呂に入ったり、みかんを食べたり。

いい旅行だったな。また、なんか成長した気がする?

その子とのセッションがもたらした幸せってほんと満ちていた。

フルートって自発的に好きなようにやってる今が一番楽しいかも。

やることいっぱいあるなぁ。

おやすみなさい。

 

 

 

 

 

タネまき

1/14(土)

12時間寝た。

フルート、吹いた。

洗濯物、干した。

昨日、SLUM DANK THE FIRSTの解説本がやっと届いた。

年末、友達と映画を見て大号泣した。

映画化するってことで、彼氏から春頃に漫画を全巻借りて読んでいたものの、

映画開始3分くらいから涙は止まらなかった。

漫画を読んでいる時も泣いた記憶があるが、映画は大号泣だった。

今思えば、なんであんなに泣いたんだろう。

とりあえず、今日は、届いた本を読もう そんで、漫画も読もう 

の気持ちでSLUM DANK時間を2,3時間過ごした。

その後、お腹が空いたので散歩がてら何か買いに行くか〜

ってしてたら友達から連絡がきて、一緒に作業することに。

と思ってたら、お母さんからおばあちゃんにiPadの使い方を教えてほしいと連絡が。

1時間半電話してたけど、結局解決せずに

「おばあちゃん、くたびれちゃった」

って言って終わっちゃった。

すごく申し訳ない。また今度、教えに行こう。

その後友達と合流して、おしゃべり兼作業をした。

コメダ珈琲は23:00までで、その後春みたいな夜風にあたりながら帰宅した。

お腹が空いていたのでスーパーに寄って、いつもと変わらない買い物(キムチ、納豆、ヨーグルト、バナナ)をした。

考えると、すごく長い一日。

いっぱい考えることがあったな。

 

友達との会話

本当に気を許せる楽な友達。なんで楽なんだろうって考えると、それはどんな自分も出せるからな気がする。

いろんな友達と付き合ってる私は全部私ではあるけれど、一部に過ぎないことが多い。

おちゃらけてる私も私だし、自分探しをしている私も私。

私の中にも軽い私と深刻な私の間にグラデーションがあるけれど、

本当にそのどの自分も出せるのがその友達なんだと言語化してしっくりきた。

そして、それは友達にとっての私もそういう友達で、

だから、相手が悩んでいるとき、自分も悩んでいたらすごく共感するし、

自分がハイテンションに近い時は相手に話のレベルを合わせることができる。

逆に私が悩んでいる時、相手も合わせてくれる時があると思う。

そしてお互い情緒が安定していて割となんでも楽観的に考えれる時はお馬鹿な会話が弾む。

どの会話もわざとらしくなく、自然な会話なのだ。本当に大切な友達。

 

以前、髪型、髪色について考えた日があった。

そのことについても友達に話、また自分の中で何か感じたものがあった。

私は自分にずっと自信がなくて髪色を変えた自分で自分を実感していた。個性を感じていた。

個性ってなに?みんな違うのは当たり前だし、みんな違ってみんないい、やん?

って友達に言われて考えながら答えた。

ずっと私は人に支えられて個性を作ってきたのだと思う。

芸術面への関心は両親やその友達と関わっているからより発達したし、している。

海外への興味も両親の影響が強いと思っている。

私の特性は誰かにタネを撒かれて育ったもののように感じているのだ。

私が求めている個性は、多分、自分でタネを撒いて自分で水をやり、育てるものなのではないか。

きっと、その感覚が最近の「知らないことを知る」快感とつながっている。

自分で何か見つける、知り始めるということはタネを撒いている感覚だ。

今、種まきという楽しさを知って育てたいという気持ちが強いのだろう。

そして、それを育てたら、自分のことをもっと好きになれる気がしている。

自分のことをもっと好きになって自己愛が成熟したら他の人のことも無償で好きになれるんじゃないかって期待してるところがある。

そんな感じ。就活で色々悩むことが多いけど、とりあえずこの感覚、忘れないように記録する。

 

 

時間感覚

1/12(木)

「ちょっとトイレ」って横で起きた人がいて

ん〜〜〜って唸りながらまた二度寝

気づいたら誰かが歯磨きして顔洗ってる音が聞こえて

やだ〜〜、もう朝なの〜〜、もうバイバイ〜〜やだ〜〜って思いながら

こっち来て〜〜

って言うけど、タバコまず吸わんとあかんらしい

チャララン

カレンダーを見て10:00から就活のテストがあること確認して

あれ、12:00からやと思ってた

って思いながら歯を磨きながら時間を確認したら9:20

え?8:30やと思ってた!やばいやん〜

急いで用意始めた。

彼は10時前にお家を出るとのこと。

めっちゃ名残惜しかった〜

10時からテスト受けて11時前にやっぱりフルート吹きたくなって。

洗濯回してる間だけ〜って思って

意気揚々と吹いてたら思ってた電車にはやっぱ乗られへんくて

ひ〜〜と思いながら就活説明会聞きに行って

通年授業の最後の発表してきて、

気づいたら18:00だよ〜

時間経つのはや〜〜

連絡バスに乗って、途中で降りて、歩いて、薬局寄って、

今日はなんか頑張った自分にマクド買って、

家でハリーポッターの続き見て、

お風呂入って、

もう21:00。早いよ〜〜

でも、今日はまだ3時間あるみたい。

あれ、時間遅いかな?笑

 

運命

1/9(月)

昨日は朝起きて、日課になりつつあるフルートを吹いて、

どこかカフェで作業しようかと思っていたけれど、

webテストは自宅で受けようとし、

案外部屋でも集中できるなと思ったので、

昼ごはんを食べ、ESを書き、

証明写真が必要だったので、写真を撮りにいき、

帰宅して、NARUTOを読みながら寝落ち、

21:00にESを提出して、彼氏と電話しながら、

友達の仕事おわりにご飯に行く約束のため、家を出、

1ヶ月越しに誕生日を祝ってもらい、

帰宅し、お風呂に入り、また、NARUTOを読みながら寝落ちした。

多分、昨日日記を書いていたら、昨日考えていたことを記したのだろうけれど、

その時考えていた思考のつぼみが今日さくことはなかったのかも。

 

今朝起きて、またフルートをふいた。

予定より寝坊してしまったのでフルートは30分弱しか練習できなかった。

今日はクリスマスぶりの友達と遊んだ。

ベーグルを食べに行き、散歩し、ショッピング。

水耕サボテンを家にお出迎えすることになった。幸せ。

昨年10月に初めて小さなサンセベリアを育て始めた。

植物の生命力ってとっても豊かにしてくれる気がして好き。

新しい子は根が見えるので余計に生命力を感じるかも。

一目惚れで購入してしまった。

自分が今日偶然見つけた好き、のお買い物ができたことへの満足感がすごい。

幸せな買い物に付き合ってくれて、またまた私の哲学を聞いてくれた友達にも感謝。

友達とは、出会ったタイミングや出会い方が違えば友愛を育む機会はもしかしたらなかったかもしれないね、っていう話をしてて、

サボテンでも感じた「運命」ってのにもちょっと興味を持った。

今度、今読んでる本が終わったら本屋に何かいいのがないかなって探しに行こう。